「どんなご縁で」 耕治人

 家内は寮母さんの言いつけのまま動いている。その家内を見ているうちに、私が睡眠薬中毒で三月入院していたとき、一日置きに見舞いに来てくれた姿が目に浮かんだ。そのころ、家内は凛々しく、頼もしかった。幻聴や幻覚に苦しめられていた私に、いつもと変わらず接してくれた。

 もう家内の手や足を拭くことは出来ない。家内を呆けさせたことに対する罪悪感は、私がH医大病院で、苦痛の日々を送ることで、いくらか薄らいでゆく気がする。

「自省録」 マルクス・アウレーリウス (神谷美恵子 訳)

想像力を抹殺せよ。人形のように糸にあやつられるな。時を現在にかぎれ。君、または他人に起こってくる事柄を認識せよ。君の眼前にあるものを原因と素材とに区別し分析せよ。最期の時を考えよ。人が過ちを犯したら、その過ちは、これを犯した人のもとに留めておくがよい。

人の話について行くためにできるかぎり努力せよ。物事の結果や原因の中へ心ではいり込むようにせよ。

「悪霊」 ドストエフスキー (江川卓訳)

 ワルワーラ夫人がいきなり階段を駆けのぼりはじめた。ダーリヤが後につづいた。しかし、屋根裏部屋にはいるなり、声高く叫んで、そのまま気を失って倒れた。

 ウリイ州の市民は、ドアのすぐうしろにぶらさがっていた。小卓の上には小さな紙片が置いてあり、鉛筆でつぎのように書かれていた、―『だれをも咎むることなかれ、われみずからなり』。同じその小卓の上に、金槌と石鹸のかけらと、予備に用意したものらしい大きな釘とが載っていた。ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹紐は、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、一面にべっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていた。

「すばらしい新世界」 オルダス・ハクスリー (黒原敏行訳)

「ミスター野蛮人!」

返事はなかった。

灯台のドアが少し開いていた。人々はそれを押し開けて、屋内の日除け窓を閉ざした薄闇の中に踏みこんだ。奥の壁のアーチ形の出入り口の向こうに、上階へあがる階段の昇り口が見えていた。その出入り口のアーチ形の頂点のところから、二本の足がぶらさがっていた。

「ミスター野蛮人!」

ゆっくりと、ごくゆっくりと、緩慢に進路を転じる船の羅針盤の針のように、ふたつの足は右回りに回っていた。北、北東、東、南東、南、南南西。そこでとまって、数秒後、今度はゆっくりと左回りに回った。南南西、南、南東、東……。

「MiND 心の哲学」 ジョン・R・サール

神経外科医のワイルダー・ペンフィールドは、患者の運動皮質のニューロンに微小電流を流すと、その患者の腕が動くことを発見した。患者は例外なく、「私が動かしたんじゃありません。あなたが動かしたんです」と語った。さて、この経験が、本当に自発的に腕をあげるのと違っているのは明らかだ。ごくあたりまえの状況では、あなたが自分の腕を意図的にあげれば、腕をあげるという身体の運動を生み出している意識された「行為中の意図」が、因果的に作用しているさまをあなたは実際に経験する。

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因果にかかわる私たちの経験には、自明で保証されたものはなにもない。私たちはどんな場合にも間違える可能性があるだろう。しかし、この間違いと錯覚の可能性は、いやしくも知覚経験であるならどんなものにも組み込まれている。

「単純な脳、複雑な「私(わたし)」 または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義」 池谷 裕二

クルマの写真が出たら、コンピュータのマウスを動かして、カーソルを<クルマ>という単語の上に移動させるゲームだ。

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みんなが使っているマウスは、実はコンピュータにつながっていない。

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僕が君らに見えないところで、カーソルを<クルマ>という単語に動かしてあげる。

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実験の後で参加した人たちに質問する。「自分でカーソルを動かしてるような気がしましたか」と。すると「はい。感じました」と答えた。

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彼らは「自由」をちゃんと感じている。ただ、そのからくりを知ってしまうと、もう自由ではないよね。他人に操作されているわけだから。