近衛文麿と日米開戦 川田稔/編

このような観点は、その後、近衛内閣下で発表される「臣民の道」の中で現れてくる。
「我らは国民たること以外に人たることを得ず、さらに公を別にして私はないのである。我らの生活はすべて天皇に帰一し奉り、国家に奉仕することによって真実の生活となる。」
ヒトラーはこう述べている。「彼ら[ドイツ国民]は一生自由になることはない。...彼らはそれで幸福なのである。」

「ニコラ・テスラ 秘密の告白」ニコラ・テスラ 宮本寿代訳

私の解釈が正しければ、人が想像しているものは何でも画面に映し出して目に見えるようにできるはずだ。これくらいの進歩があれば、人間関係というものはまったく変わるであろう。この奇跡は成し遂げられるものだし、いずれそうなるに違いない。

https://toyokeizai.net/articles/-/76414

「大転換」カール・ポラニー

平和への関心が実効力をもちえたのは、国内の諸勢力を平和の範囲内で活動できるようにする社会的諸器官をバランス・オブ・パワー・システムに提供することにより、このシステムを平和の大義に奉仕するよう仕向けることができたからに他ならない。...ヨーロッパ協調のもとでは、それは国際金融とこれと同盟関係にあった国内銀行制度であった。

「しのびよる破局」辺見庸

個別には幸福もあるかもしれないけれども、その幸福は絶大な不幸の上にしかなりたたないという現実を見るとき、はたして人間は真の意味で幸福を感じることができるかどうか…。そんな問いかけを粛然として聴く空気がこの社会にはあるのでしょうか。いや、問いかけ自体があっさり揮発させられてしまうようです。

「しのびよる破局」辺見庸

...インターネットというのは瞬時に地球の端と端をつなぐのだと。それは人と人をつなげるのだと。ところがふたを開けてみると、人と人の関係を結ぶどころか切断してしまったのです。世界は切断された。内面が切断されたわけです。...ことばもモニター画面にみあったかたちで空洞化した。

「しのびよる破局」辺見庸

「器官のない身体」としての資本主義は、そこに棲む生体としての人間の欲望をどこまでもどこまでもたきつけ、開拓し、抽出し、それを養分にして増殖し、さらにまた新種の欲望の種をまき、育て、肥えていく。